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はなたのオールドロマンティクス

映画みて、感想をブログに書いてます。NetflixやHuluで観ることもあり、その場合はカテゴリに表示しています!

ゴーン・ガール

ゴーン・ガール

2014年 アメリカ

監督 デイビット・フィンチャー

出演  ベン・アフレック, ロザムンド・パイク

 

前から見たかった映画、Netflixに新着で来ていたのでさっそくみました。

途中で止まれない映画です。めちゃくちゃおもしろかった~

 

あらすじ

ニューヨークで出会った夫婦はお互いに華やかな業界人と言えるライターだった。

ハーバード大を卒業している妻は美しく、作家として成功した両親を持つ。しかも子どもの頃から母の物語の登場人物のモデルとして注目されて生きてきた。

ところが結婚生活3年目を過ぎた彼らはお互いに職を失い、家庭の事情から夫の故郷へ移り住む。田舎町に友達のできない都会育ちの妻は、故郷に馴染む夫を憎んでいく。

とても深く、丁寧に、綿密に彼女は憎み、そのことに夫は気づいていない。

彼女の憎しみの深さが明らかになってからは、手遅れになっている。・・・というような話であります。

 

 

ネタバレしながら振り返る

事実か記憶の塗り替えか

※これ以降ゴリゴリのネタバレありなので、鑑賞後に読むのをオススメします。

 

 この映画にはいくつか不思議なところがある。

妻が失踪した朝から順を追って起こって行く出来事とは別に挿入される回想シーンが、全て事実かどうかという点だ。

一番代表的なのは子どもを望む妻対して夫が、「子どもは夫婦関係を修復するための手段じゃない」みたいなことを言って突き飛ばすシーン。

暴力かどうか微妙な感じなのと、話の内容が必ずしも夫が子どもを望んでいないわけではないところが難しい。

まあでも実際の人間関係でもこういった記憶の相違はありがちかと思うので、リアリティがあるなと思って見た。世の中には仲の良いだけの夫婦がきっとたくさんいて、このシーンにリアリティがあると思って見るのは珍しいのでしょうか?

私は個人的には、このぐらいの揉め事は年に一回ぐらいはあるなあ、リアルだなあと思って見た。

 

本当の自分じゃない

パーティーで出会った二人、すぐに親密になるものの彼女は彼の顎が気に入らないと言う。割れている顎を「悪役のようだ」と言うのだ。けっこうひどい。

でも彼は気にしないでキザっぽく顎を隠す。

エイミーのために用意された顎の割れていないニック。

 

多分、妻のエイミーもまた自分を偽っている。自分の殺害を仄めかした現場を残した後、人相を変えるためなのか?スーパーで買ったジャンクフードをドカ食いしている。

たった数日間の出来事を描いているのにエイミーは太ったり痩せたりブスになったり美人だったり変貌が激しくて女優のロザムンド・パイクは素晴らしい。

でも低所得者向けのリゾート施設みたいなコンドミニアムではすぐカツアゲされてしまう。悔しがって枕の中で叫んでいるエイミーがいかにも本当のエイミーっぽい。

本当のエイミーは絵本のモデルにされたことも夫が田舎に引っ越してダサくなっていくことも心底最悪だと思っている、不機嫌で高飛車な女である。それが原因で夫が下らない女と浮気したことも理解はしていて、その上で次の手をどう打つか、考えるのを止められないのだ。

 

偽の殺人現場で死んだのは誰か

エイミーはDVを仄めかす日記を用意して、綿密に自分が殺されたかのような現場を作る。

そこでは本当は誰も死んでいない。

しかし本当にそうだろうか?エイミーが望んだのは田舎に引っ越してきた思い通りにならないバカな夫に罰を与えること、その結婚生活をめちゃくちゃに破壊すること。

そして後から夫の罪を補強するために自らも水死しようとして失踪している。

 

ということはその現場では決意の上ではエイミーは死んでいる。殺人という罪においては無罪な配偶者にでっちあげの罪を作るには通常自らの死が必要なのだ。それが浮気した男であっても。

人を呪わば穴二つ、ということだ。

そのことにエイミーは苦しむ。なぜ自分が死ななければならないのか?と。

 

この悩みは難しい。しかしバカバカしい。

まあ普通に考えれば浮気されて憎くても、それを理由に離婚するなりして自分が自分の生活を変えていけばいいだけなのだ。しかし彼女はどうもそのコントローラーのようなものが壊れている。

おそらくその自己像と等身大の自分との乖離をコントロールできない理由としては絵本のモデルとして知られて育った過去がある。

 

この「有名な人気者として育った経緯」がどれだけ彼女のサイコパスさを補強するのかは謎だが、エイミーが殺したいほど憎む相手は夫ではなく。自分自身のどこかの部分ではないかと考えると、完全な一人相撲である。

 

エイミーの帰宅

エイミーはカツアゲされたあと、お金がなくなって仕方なくかつての同級生で自分のストーカーみたいになっていた大富豪の男に泣きつく。

人目のつかない別荘で優しくもてなされておきながら、その男から暴力を振るわれている証拠を一生懸命一人で頑張って残す。その必死さたるや凄い!

最終的にその男をセックスの最中に殺して、血だらけで帰宅して「誘拐されていた」と言う。すごい。

 

夫はさすがにその嘘に気づいているから、ドン引きして自分も殺されると思うのだが

病院に預けていた自分の精子で勝手に妊娠されてしまってアラ大変

 

夫の双子の妹はその結婚生活から逃げろ!と言うのだが、責任があるからと言って彼は踏みとどまるのだった。双子の会話は、一人の人物の葛藤を表している。

 

これが結婚の比喩かどうか

この映画を見た人が「結婚ってこわーい」「女ってこわーい」と言うのは多分お門違いである。

まあ確かに結婚生活をテーマに描いているし、一緒に住んだり色々な変化があれば摩擦もある。

しかしこの映画は個人的な深い問題を抱えた美女と結婚してしまった男の話であって結婚生活の話ではないと思う。

エイミーほどのストイックさで計画を実行に移すほどの自己の鍛錬は、幸いにも、通常の人は持ち合わせない。しかし時々そういう面があることを誰にも隠して魅力的に振る舞う人というのはきっと実在する。そういう人と結婚してしまわないとは誰も言い切れないというのがせいぜいの事実であろう。

 

あとは支配的になった配偶者を前に子ども等の責任のために退路を絶たれるというのはきっと事実だと思う。

しかしその場合の配偶者の振る舞いは、この映画のエイミーよりもきっととても優しいものである場合が多いだろう。

そういう意味ではきっとゴーン・ガールより幸せな結婚ができる可能性のほうが高いのではないだろうか。希望が持てる映画ですね!

 

 

非常に楽しみました。

こういう映画を楽しむ自分に出会うと、きっと海外ドラマを見たらもっとハマってしまうんだろうなと心配になる