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はなたのオールドロマンティクス

映画みて、感想をブログに書いてます。NetflixやHuluで観ることもあり、その場合はカテゴリに表示しています!

ショートフィルム 岸辺のふたり

岸辺のふたり

2001年

監督 マイケル・デュドク・ドゥ・ヴィッド

あらすじ

あらすじ も何もこの映画はたった8分間で、ナレーションもセリフもない。

気が進まなかったからリンクは貼らないのだが、動画共有サイトにもある作品なのでぜひ見て欲しいと思う。絵本やDVDも販売している。たった8分間の作品だが、私もDVDを持っている。(アマゾンだと高騰しているが・・・)

 

いちおう物語の筋を書けばこういうことになる。

父と水辺で永遠の別れをした娘は、流れる季節と歲月の中で、父の旅立った岸辺を繰り返し訪れる。強い風の中で急な上り坂を力強く越えて訪れ、その帰りを待っている。

ナレーションも何もない映像だが、アコーディオンの音楽がその歲月を表す。

繰り返し訪れる中で様々な日々を娘が経験していることが描かれる。

ついにいつも乗っていた自転車を押してその岸辺を訪れると 父が旅だった水辺が干上がっており、胸まで伸びた草の中を進むと父の乗っていたボートがある・・・。

 

 

ネタバレありの感想

本質的な要素

 色々な映画を見て、色々な人物や人間関係が描かれているのを見ている中でも よく描かれている人間の本質として根本的なものはこの8分間の中に閉じ込められていると感じる。

あるいは、この「岸辺のふたり」の中に描かれているような要素が全く欠落した人間が描かれている、というようなことを感じることもある。

それほど親、あるいは父への憧憬、言い換えればもしかすると根源的な承認欲求のようなもの 何かに守られて生きていっている認識のようなもの が人に与える影響は大きい。

 

長い離別

 何のセリフもナレーションも無い、とても短い作品であるにも関わらず、この物語に引き込まれてしまうと数時間の映画を見た後と同じような・・・場合によってはそれ以上、数日かけてのめり込んで本を読み終えた時の読後感にも近いものがある。

 この映画は人と人の離別の物語である。

 

離別は、単なる別れてそれっきりのものではない。

繰り返し父の旅立った岸辺を訪れる娘は「父として機能していたもの」を思い返し、そこによりそうような姿だ。旅立った場所に来るという行為は墓参りみたいなものなのかも知れないけれども、より抽象的で精神的な印象を音楽やシンプルな線が際立たせている。

 

個人的にはこの作品を10年前に見た時には、この離別をただ抽象的な、一般的な事象の一つとして捉えていた。

しかし、この10年間の間に自分自身の身内の不幸や様々な出来事からか、死に代表される「別れ」に関するこの映画の解釈にますます心を揺さぶられた。

 

再会の姿の解釈

この映画は最後に親娘が再会するシーンで幕を閉じる。

二人が乗ってきた車輪が人生の円環のようなものを表象しているとも思うし、所謂「お迎え」のようなかたちで彼岸にいる父が迎えにきたという解釈で良いのだろうと思う。

 

そこで面白いなと思うのは、再会するときの二人の姿だ。

老婆になっていた娘は父に駆け寄りながら背筋が伸び、若返っていく。

娘はかなり小さな時に父と別れているはずなので小さな背丈の幼女になるかと思いきやそうではなく、成人女性の姿で父と再会する。父もまた、変わらぬ姿だ。

 

このシーンを見て連想することは、人が「その人らしく」ある時、というのが人生のいつなのか という問題である。

まだ言葉を話さない期間、幼少期、思春期、青年期、壮年、中年、老年・・・。色々なそれぞれの「その人」の瞬間がある。

どれもその人の人生に違いないのだが、「その人そのもの」である時というのは思ったよりも短いのではないだろうか・・・。と考える時がある。いつまでたっても「その人らしさ」を失わない人もたくさんいるけれども・・・。

そして、自分もいつまでもより、自分の中の最高の「自分らしさ」を持っていたいなと思うのだけれども。

 

なんとなく最後のシーンで抱擁する二人は、「その人そのもの」の姿で出会っているように見える。 

離別することへの温かな眼差し

 

大人の姿になって改めて出会う二人だが、その間には深い関係性があり、その繋がりが絶たれていたわけではないことを感じさせる。

 

それは幼少期のみに築いた二人の関係から出発して、別れたあとも、岸辺に寄り添うことで大人になってからも「父であったもの」との関係が発展させられていったからに他ならないからではないだろうか。

 

この映画には、長い長い離別の間には、そこに居ない人との関係を更新することもできうる という大切な人を失った時に寄り添いたい温かな解釈が語られていると思う。