読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

はなたのオールドロマンティクス

映画みて、感想をブログに書いてます。NetflixやHuluで観ることもあり、その場合はカテゴリに表示しています!

キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン

レオナルド・ディカプリオ 映画 スティーブン・スピルバーグ Netflix

キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン

2003年 アメリカ

監督 スティーブン・スピルバーグ
出演 レオナルド・ディカプリオ, トム・ハンクス, クリストファー・ウォーケン, マーティン・シーン, ジェニファー・ガーナー

 

あらすじの紹介

主人公フランクの16歳の誕生日を目前に控えて、父の経済状況は思わしくなかった。これまでは地元のロータリー・クラブで活躍したり母とも幸せそうだったのに、資金繰りのために息子に従業員を演じさせて銀行に融資を申し込んでは断られる・・・。遂に両親が離婚したことによってフランクは家出を決意し、次々に詐欺を働き、手口はますます大胆になっていく。犯罪に病みつきになった彼を救ったのは誰か?というのがこの映画の導入。

 

 

ネタバレありの感想

フランクと父

フランクの犯した犯罪は大胆かつ巧妙だが、その起源は父にあるということを感じさせる細かな演出が、ぐっとくる映画だった。

両親の離婚前、フランクは私立高校の制服に身を包み、少し内気で真面目そうな少年だった。当時、脱税の嫌疑がかけられたために父の怒りは税務署に向いていた。

同時期、母は父以外の男性と会うようになり両親も不仲に。そんな中でも父は息子に銀行の個人口座を開設させ、小切手と少額の資金を贈り彼の成長を祝った。

 

フランクが愛するのは彼を裏切らなかった父であり、

フランクが憎むのは父の敵である税務署や融資を断った銀行等の権威的なものすべて。

同時に母の再婚相手もまた社会的地位のある人間であり、権威的なものへのコンプレックスが彼が扮装するパイロットや医師、弁護士などの職業に反映されている。

つまり彼は彼の個人的な恨みからではなく、父の仇を取る形で詐欺行為を行っており、その純粋さは彼が高校も卒業していない10代に過ぎない・・・という点に観る者も、彼を追うトム・ハンクス演じるカール捜査官も胸を締め付けられる。

 

キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン

公開当時映画館で鑑賞した当時は、正直言って単なる大衆娯楽映画だと思った。

にも関わらず、最近になってじっくり見るとそこにはかなり深い人間ドラマがあり、爽やかなメインビジュアルや楽しげなタイトルとはかなり遠い印象だった。とても、いい意味で。とても良い映画だと思った。

 

追いかけられる主人公は犯罪を繰り返すことに中毒になり、本人に足を洗う意志があるにも関わらず、それを父親に応援してもらえないことに苦しんでいるシーンが印象的だ。

彼は父に懇願する、もう辞めろと言ってくれ、と。

しかし財産も妻も、品行方正な息子も失った父は決してそう言わない。

 

***

子どもの心身の健康や自己の尊厳を守ることを、親が辞める時、諦める時、その余裕を無くした時。

誰にでもその時は訪れるが、それが適齢期でも死別でもない時に子どもは苦しめられる。それまでが理想的な親であったならばあるほどに、自分を見てくれない親に失望し、いつまでも期待する自分を自己嫌悪する。

 

というような時期に、彼の精神的な親となるのがカール捜査官である。

彼は後の逮捕後に身元引受人になってくれる等、失われた父としての役目を惜しみなく演じてくれる。

キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」は単なる犯罪を楽しむ犯人が捜査官を挑発する言葉ではないのだ。

追いかけてきてくれる人の無い孤独な子どもが、誰かに向き合って欲しくて自分(の犯罪歴とか社会的信用とかを)を傷つけながら大声で泣き叫んでいる痛々しい言葉だった。

 

実話とのことで

最後のシーンでモデルとなった人物が登場している。

映画の最後でも紹介されている通りの逮捕後の人生を送り、多くの功績を残しているとのことでそれもこれも、彼を追いかけ続けた人があってのことなのだろう と、思わせる映画であった。本当にそうかどうかは、全然分からない。

 

まあでも高い知性と自己顕示欲のある人は社会的成功を収めやすいので、

何も彼の活躍の場は犯罪行為ではなくても良かったということなのでしょうね。

このyoutubeの動画は、映画キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャンの冒頭のもとになったと思われるテレビ番組。

 


To Tell the Truth: Frank William Abagnale Jr. (1977)

なんかこんな番組、人が死んだりしていない犯罪だからとは言え ゆるいなーと思う。

今もこういう番組あるんだろうか?2003年頃に映画館で見た時はさほど違和感を感じなかったので、この10年間ほどで随分とパノプティコン的な世の中の風潮が強くなったんだなと感じるな。

そもそも、彼の犯罪自体がとてもゆるい時代背景に成り立つものでもあるし。

偽造困難で厳格なセキュリティや衆人監視的世の中の背景には彼の犯罪、あるいは釈放後の仕事が一役買っている、と言えるのかも知れない。

 

犯罪がなくなることは望ましいけれども、色々な形に変えて現れる人間の孤独から脱出したい苦しみやその叫びが、どのようにかして誰かに届くようでなくてはならないと思う。

何か声を上げたらすぐに検閲されて閉めだされるのではなく、犯罪行為を通してでも精神的な父と出会えた劇中のフランクのようなことが誰の人生にも当たり前に起こりうる世の中であってほしいと、スピルバーグ以外の人たちも望んでいるだろう。